八尾のお寺「円照寺」さんに、ホームページを作った理由をうかがってきました



八尾のお寺

大阪さんぽでは、色々な方にお話を聞きたいと思っておりまして、今回は、八尾のお寺「円照寺」のご住職に、ホームページをお作りになった理由について、うかがってきました。

八尾の円照寺

八尾の円照寺

高額な費用をかけず、お寺で家族葬儀をされている八尾のお寺。「葬儀を依頼して良かった」と思って頂けるよう、日々接しておられます。

所在地:〒581-0015 大阪府八尾市刑部2-340
TEL:072-915-0285
FacebookURL:葬儀のできるお寺 八尾の円照寺
ウェブサイトURL:http://www.yao-enshouji.net/

寺離れを危惧して、お寺での葬儀をご縁に

大阪のお寺

つちや:今回、なぜホームページをお作りになられたのか?をお教えいただければと思うのですが。。。

住職:現在、各葬儀社から依頼を受けているのですが、高い葬儀料金を払えない方はどうするのだろう?と考えたのがきっかけです。

高くない料金で、お寺で葬儀をあげられることをアピールしていこうと考えました。

それと、一般の方の寺離れが起きている。だから、お寺での葬儀をきっかけに、お寺へ来てもらうことはできないだろうかと。

そういうことから、ホームページを作って発信していこうと考えました。

つちや:寺離れを危惧されての行動なんですね。

住職:そうです。仏教というのは、確かに宗教なんですが、本来はニンゲンの道理を言ってるわけです。

つちや:道理と言いますのは?

住職:真理という言い方もしますが、道理というのは法則のことです。「なぜ死ぬのか?」、「生きてるから死ぬ」んです。よくガンで亡くなったと言いますが、仏教では「生きたから死ぬ」んです。

「生きたものは、必ず死なないといかん」という命題があるわけで、そこのところを言っているのが「仏教」なんです。基本的には。

つちや:なるほど。

住職:それに対して、「仏教を信心したから命が長くなる」とか、そういうものは何もないわけです。

死んでからのことを言っているのではなくて、今現在、どういう具合に生かされて行くんか。

どういうモノの見方をしたほうが、苦痛のない生き方をされるんかと。

これだけのストレス社会ですから、心のなかにノイズを入れない方向ってものがないだろうか?というのが仏教の命題なんです。

お寺は胡座(あぐら)をかいている?

大阪市のお寺

つちや:生きるのに大変な思いをされている方が多いと、もしかしたら、寺離れも関わっているんじゃないかと。

住職:昔の方は、知識は乏しかったけど、知恵があったのは、寺に来られたからですね。

寺へ来られて、どういう具合に生きていくのが楽な生き方か?っていうのを知っていたと思います。

楽な生き方ってのは、お金が儲かって裕福に生きるというわけではなく、精神的にどう前向きに生きていけるのか?っていう。

そういうことは、昔の人の方が、豊かに取り入れたんですね。

つちや:なるほど。

住職:今の人は逆に、知識はあるけど知恵がないですね。平たく言えば、自我が大きくなってきている。

だから寺に来たらどうや?というのが、ホームページを作ったきっかけです。

つちや:お寺との付き合いが薄くなってしまって、知恵に対する気付きが薄くなっている側面がある意味、あるんですね。

住職:それと同時に、お寺の方が胡座をかいてるつもりはないんですが、実は胡座を若干かいてるという。

現代の多様な価値観、こういう時代に対応できてない。言葉のバリエーションが少なくなってきている。

現代は、言葉のバリエーションを広くしていかないと通じなくなってきていると思います。

仏教に魅力がない現代

八尾の浄土真宗

つちや:素朴な疑問なんですが、数百年続いてきた仏教なのに、なぜ今になって寺離れが起こってきているのでしょうか?

住職:平安時代、仏教は、貴族のものでした。その後、鎌倉時代に庶民の物となり、江戸時代になると、豊かな人の物になる。

時代によって、さまざまな関係があったわけです。今は、非常に関係が薄い時代になってきてるんだと思います。

つちや:先ほど、ご住職がおっしゃった、お寺が胡座をかいていると言うのはそこなんですね。

住職:お寺の方は「関係ない」と思っているでしょうね。もっとお寺の方も根底から考えていかねばならない。

たとえば、私は違った形の葬儀を考えていますが、「葬式仏教になっていった」という批判があるでしょ。

つちや:葬式仏教と言いますと?

住職:仏教というのは本来、どう生かされるかということを考えていかなあかんもんです。それをこっちに置いておいて、葬儀だけしてたらいいという考え方になってると。

つちや:クリスマスの時期だけ、キリスト教をやるようなものですね。

住職:そういうことです。それがあまりにも度が過ぎて行ったんでしょうね。

つちや:ハロウィンやイースレターもそうですね。

住職:だから、一般の人というのは、方向性は誤ってないんですよね。仏教離れしていくというのは、ノーマルな見方をしてて、逆に、仏教に魅力がないわけです。

お寺が、もっとしっかりせんといかんと。一般の人の目が肥えていっているわけです。

つちや:今はネットの発達によって、日本にいながら世界中の価値観が入ってきてますね。

住職:アメリカでは今、仏教を見なおしていると聞きます。

私は30年くらい前から、日本はいずれ、アメリカから仏教を逆輸入するだろうと言っていましたが、まさしく今、仏教を見直す時期が来てると思います。

仏教は生きている人に必要

大阪の浄土真宗

つちや:海外では、仏教だけでなく、日本の食べ物や飲み物の評価も高まってきていますね。

住職:実は私、日本酒が好きなんです。日本酒ブームは良いんですけど、日本酒が分かるのは、四季感や日本食の味、温度、これらを体験してこないと分からんと思います。

つちや:確かにそういうところありますよね。日本酒はブームで、ワインのように価格が高騰してる部分があります。

住職:私、何年か前まで、ワインにも、ものすごい懲りまして。

つちや:はい(笑)

住職:ワインに合うのは海外の食べ物。食べるものによって、合う合わないは変わりますね。ウィスキーもブランデーも同じやと思います。

つちや:そうですね。元々の飲み方と異なる、独自の飲み方、使われ方がされているのを、ちらほら見かけます。

先日、ワインにお好み焼きを合わせる、お好み焼き屋を見かけました。

住職:仏教も同じやと思います。誰も言ったことのない概念が一人歩きしてる。勝手な解釈といいますか。

たとえば、「仏教というのは、亡くなった人に必要であって、生きている人には必要がない」

これは本当は逆でしょ。

本当は、仏教やお寺は亡くなった人に必要がなく、どう生かされるかなんで、生きている人に必要なんです。

自分の思い通りにいかないから、どういう具合に改めていったらいいのか。

生きていること自体が問題で、良い方向に行かないから。自然体でいいわけです。

そのことを仏教は言っているんです。

つちや:なるほど。

住職:背の高い人、低い人、髪の毛の長い人、短い人がおって、いいわけです。望んだことが、ある程度実現可能な現代は、余計にややこしい時代ですね。

これでおしまいです。
お読みくださり、ありがとうございました。

八尾の寺


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